鱒留めの滝 |
連休の初日に郊外の山へドライブに出かけた。山裾の街を抜けてゆく。谷あいをさかのぼる一本道の両側には、古い民家が軒を連ねている。左手には小さな川があり、田圃が広がる。いかにも日本的な原風景だ。何十年も、もしかしたら何百年も変わっていない風景の構造なのだろう。懐かしいような、デジャヴュのような、感じがするのは民族の記憶のせいだと思う。
川のそばにおじいちゃんと子どもがいる。網とバケツを持っている。何をつかまえるのかな。魚がいるのかな。それともオタマジャクシかな。路傍に車を何台か止めて、大人たちが話し合っているのは、これから本格化する田植えのためだ。
少し坂の傾斜がきつくなったかな、というあたりに鱒留の滝という滝があった。落差は3mたらずだろう。水量もそれほどあるわけではない。それでも水音はまわりの音を打ち消して、滝の存在だけが浮かび上がる。滝のほとりにたたずんでいると、いろんな雑念さえ打ち消してしまうような気がする。
滝の両岸にはすこし樹が茂っている。椿の花がさいている。それが滝つぼに落ちて波紋をつくり、花は赤い点となって揺れる。滝の水は岩の間を分け入るように流れ落ちる。岩には苔の緑。滝つぼのあたりは瀞になり、きっと夏には泳ぎたくなってしまうだろう。
鱒留の滝というからにはこの川には鱒がいるんだろう。今もいるのだろうか。この川は汚染されてはいないか。目で見た限りではとてもきれいな水だ。今も、これからも鱒やいろいろな魚たちのいる川であって欲しい。こんな当たり前の風景がいつまでも当たり前の風景であって欲しい。